いやなものはいやといおうという話

モーレツで有名な某中小企業の経営職の講話を聴いた。

話の内容自体は、とても明快である。

 

命は大事だから、事故は起こさないように。

身だしなみも大事だ、周囲に不快感を与えないように。

売り上げの報告は正確を期してほしい、こちらもどれだけ投資に回せるか考えるから。

精神疾患になると大変、だから嫌ならいやと言おう。

 

なんだ、この人、とってもわかってる人じゃん。

パワハラっていう人もいるがそうじゃないよね。

 

よくよく聞くと、気に入らない管理職をすっ飛ばしたり降格したりしているとか。

嫌なら嫌といっていいよ、楽にさせてあげるから。

だって

 

 

周囲の人たちはガタガタブルブル、その事実をもってしてとんでもない人だ!と噂するのだが、結構本質ついているのかもしれない。

 

パワハラの基本として、

責めてる方はその行為をハラスメントととらえていないことが多い

正義、理由があっての厳しい指導だと思っている

受け取る人がハラスメントととらえ、体調を崩してしまうと取り返しがつかない

だったらその関係を切り離すしかない

 

欧州ほど解雇、再就職がたやすくできない日本の会社では異動、それができなければ降格や配置転換でもって関係を切り離すしかない。

 

その人の心と体を保つにはそうするしかない、という判断なのだろう。

実際、ぺいぺいの自分から見ても管理職の責に耐えられんな、という人はいて、そんな人から役職取り上げるのは合理的な判断ではないのかな、と思った。

 

それでは自分はどうなんだろう。

おそらく自分はこの人苦手ではないな、と思った。

言ってることがシンプルで、感情で怒っているわけではないからだ。

その指示の意図するところをくみ取り、仕組みを考え、皆に周知させ、実行する。

それだけだからだ。

 

むしろ自分が嫌なのは、ボスざるのように自分の優位を見せつけるために感情をむき出しにして威圧してくるような人だ。

そんな人にがっといわれると、一日頭がぼうっとして仕事が手につかなくなる。

 

だから、リストラさんにボスざるさんを、適正に処断していただくよう考えるのが合理的なのだろうかと思った。

 

まあぼちぼちやってみるか。