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落語と所属欲求の話【「超入門!落語THE MOVIE」】

今は何度目かの落語ブームだそうです。

 もっとも、落語家の方に言わせると若干盛り上がったくらいでブーム、ともてはやされるのは心外だそうだ。確かに、安定した人気があれば「ブーム」なんてはやし立てられることもないわけで。

 自分にとって落語はつかず離れず、まったく知らないわけではないけど、人に説明できるほどでもないな、程度の距離感でしかない。

 笑える、究極の一人芸だ、残していくべき文化だ、等々。

 ホントに好きな人からすると言葉を尽くして褒めちぎり、進めたくなる気持ちもわからなくもないのですが、そこまで期待値をあげさせられた状態で鑑賞してみてもかえって実際とのギャップを感じてしまう。

 

 身近なとんちんかんな人たちのやり取りと、ダジャレで終わるお決まりのストーリー。何か自分が求めているものとは違うような。

 

承認欲求と所属欲求の話

 話は飛ぶのですが、先日読んだ本のことを紹介します。

www.amazon.co.jp

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シロクマ先生こと熊代亨さんの近作。

 生きづらさを感じる今どきの人に必要なのは、承認欲求ではなく所属欲求を満たすことだ。というのが主な内容。

  • 承認欲求=他とは違う特別な自分を認めてもらいたい、という欲求
  • 所属欲求=特別でなくとも、平凡でも、何かの共同体に属していたいという欲求

 バブル期以降に育った人は、自分の中の特別なものを磨き上げることで社会の変化に対応していきたい、という思いが強い。所属する企業、国家までもが姿を変えていく時代に、確固たる自分の軸を作り上げなければ生き残れないのではないか。そのような思いのもとに自己研さんや自己啓発に走る人も大勢います。

 しかしそのようながつがつした気分が心のひずみも呼んでいるようで、書店の店頭を見ると自己啓発本と同じくらい、心の安らぎを求めるためのノウハウ本も並んでいる。

 疲れるばっかりでいつまでたっても心は満たされない。

 であれば、今いる場所と人間関係を大切にして、その中で心を満たせばよいのではないでしょうか。

 「認められたい」の中では、社会的ステータスがさほど高くなくても、周囲の人との何気ない言葉のやり取りに幸せを感じる人、会社や社会などの共同体の中で、うまく自分の立ち位置を確保でき、その共同体がうまく機能していれば自分も幸せだ、と思える人が生き方上手とされています。

落語と所属欲求

 バブルよりちょっと遅れた世代の自分が経験してきた「笑い」とは、ドリフターズやたけしの元気が出るテレビのようなもの。大きなセットが破壊されたり、ヘビメタバンドがほのぼのとした商店街で場違いなライブを披露したり、就寝中の芸能人にバズーカを打ち込む(もちろんおもちゃですが)などなど、何かしら過激で激しいものが多かった。

 そんな自分からすると、落語というのは野暮で卑近でスケールが小さく、そのエンディングもちょっとしたダジャレ程度。なにか自分の求めているものとは違うな、と思いつつも何となく気になってしまう存在でした。

 身近な人たちが日々の生活の中で巻き起こす事件とその顛末。

 所属欲求よりも承認欲求を求める気持ちと、落語の笑いを素直に受け入れられない気持ち。どこか相通じるものがあるのではないでしょうか。

 身近な人たちとしがらみを感じつつも円満に過ごす。一見良い選択とも言えますが、そう簡単に実現できるものでもありません。それが嫌で地元を飛び出して都会に出ていく人も多いわけですから。

 しがらみを、ストレスではなく活力のもとにできれば、より所属欲求も高まるのではないか。その方法とは、そうだ、笑いだ。

 落語に出てくる人たちは本当に身近で卑近で野暮で、よく知った間柄でありながら行き違いばかりしているしょうもない人たちです。

 でもそれらをいちいち一刀両断に裁いてばかりいても自分の心が満たされるわけもなく、また、自分自身がいつも裁く側にいるわけでもないい。

 だったら、それをうまく笑いに転化することで心を健やかに保てればそれでいいんでないの?今目の前に起きているトラブルは前振りであって、最後に笑えるオチが待っているんじゃないの?自分も、あの中に入っていければ、もっと日々を楽しく過ごせるんじゃないの?

 そう思って見ると、今まで斜に見ていた落語も、もっと素直に楽しめそうです。

せっかくのゴールデンウイーク、撮りだめしておいた「超入門!落語THE MOVIE」まとめて見てみることにします。