いらっとする+ラベル貼る=ヘイトスピーチする

昨日のニュースにこんなのがあった。

対馬の寺から盗まれた仏像、韓国の裁判所は返す必要なしと判決。

なぜならそれは、以前倭寇が韓国の寺から盗んだものだからだ。

 

すごいな。

韓国で窃盗罪を裁こうとすると、いちいちそんな壮大なスケールで語られてしまうのか。

 

それはさておき、

FBで関連する話題を見てみると、なんだか何かが湧き出したような感じになってる。永江一石さんのフィードを例に挙げると、

 

永江さん「これが韓国のスタンダードな考え方なの?」

ある投稿者「韓国人は日本人とDNAが違っていて。。」

永江さん「おいおいヘイトスピーチする人はブロックだよ」

別の投稿者「まったく半島の住民は。。」

永江さん「だから、ヘイトスピーチはブロックだって」

 

みたいなやり取りされていた。

 

ほかに「ずっと教育の力でそんな考え方になっている」などといった周囲の環境にまつわる発言はさらっと掲載されていたが。

 

さて、何が問題なのだろうか?

 

生まれとか、DNAとか、本人の意志や努力で変えられないものをあげつらい、Disる行為はNG、ということなのだろう。

もしかしたら、それらの要素がその人の個性や行動様式に影響を与えていると考えられなくはない、が、だからと言ってそれを指摘したところで何も変わらないし変えようがない。そのようなことを当の本人に伝えたところでプラスな要素は何一つ発生しないのだ。

 

だから、ヘイトスピーチとは受け取る側に何ら良い影響を与えず、そればかりかかえって問題を大きくすることにもなりかねない行動。ともいえる。

 

我々日本人がもっと気にしなきゃいけないのは、日本に対して情緒的な態度をとる人がはたして主流派なのか、ということだろう。

日本でも、新大久保あたりで更新してる人たちはいるが、果たしてそれがマジョリティというと全くそうではない。たまたまニュースで大きく取り上げられているからと言って、必要以上に浮足立つこともないのだろう。

 

ヘイトスピーチというのは、相手への問題提起や理解の一助ではなく、ただ騒ぎたい人達のお慰みなのだろうな、と思った。