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パクリとオマージュについて

ただのつぶやき

昨年の流行語大賞は「神ってる」。

 なんで、と思いきや選考システムが実に前時代的だったそうで、おそらくここ数年で大きく刷新するか、はたまたありがたがる人たちが減ってしまうかのどちらかのようです。

影の流行語大賞?「パクリ」

 最後の奴はワイドショーで飛び出した冗談半分のコメントのようですが、それ以外は裁判沙汰になったり収益の柱失ったりと、かかわった人の生活にも響く事態となりました。

でも、

そもそもパクリって何なんでしょうね。

 デザインの場合、真似と独創の間に線を引くのはかなり難しいようです。

マネ、リスペクト、刷り込み

 その気はなくても似てしまうことってありますよね。

 以前社内の会議の事務局を務めた際、会議次第をICレコーダーに録音しておいたんですよね。あとで聞きなおしてびっくり。ここで司会進行している人、誰?

 自分自身の声を録音して聞くと、他人の声に聞こえる、というのは体の構造上よくあることだというのは知っているのですが、ちょっと鼻にかかった言い回しがどこかで聞いた誰かにそっくり。

あ、山下達郎さんだ

 毎週山下達郎さんのラジオを愛聴しており、「自分が一番多く聞いている他人のしゃべり声」になっているんですよね。我ながらびっくりです。

 何かを作り出そうとすると、一番なじんでいるものがふと出てしまう、これは自然なことでしょう。

ブログ書いてみて気づいたこと

 文書というのもその人の個性が出るものと聞きます。

 ブログ書き連ねていくうち、自分の文にも一定のパターンがあり、それは何かに影響を受けているのだろう、ということに気付きました。

 日経新聞のコラム「春秋」。

 芸能、社会、スポーツ、古典などから事例を紹介、中盤で展開させ、最後に今の現実世界をそっと論じて見せる流れに毎回感心しています。

新聞のコラムって、それも同じようでかなり違いが大きいんですよね。

  • 体制や今の社会を批判してまとめるコラム
  • 自分も知らなかったことを書いているのに、読者への啓発でまとめたがるコラム
  • 最初から最後まで現状の俯瞰に終始、まとめはどこ?となるコラム。

 自分のブログがその域に達していないのは重々承知していますが、春秋のような文書が書ければいいな、といつも思っています。

ミュージシャンの場合

 よく「あの曲とこの曲が似てる!」という話題がでます。ただそれが即パクリになるか、というとそうではないようです。 

 そもそも音楽には形がなく、放った瞬間に消えてしまいます。本人が演奏したものでも昨日のものと今日のものは少しずつ違います。

 似てる、パクリだ、というのは楽譜や媒体に記録した状態の音楽。しかも著作権なるものが生まれてからの話でしょう。

スポーツの場合

 何かをまねしたところで争いにはなりにくいのではないでしょうか。俺のシュートの投げ方は俺だけのものだ。よくも真似したな、金払え、とかありえません。その一方、サインのパターンや出場メンバーが対戦相手にもれると大問題になりかねませんね。

美術、デザイン

 絵画についてもオマージュとして先人の技法をまねすること自体に問題はないでしょう。偽造して高値で売るのはNGですが。

 東京五輪のシンボルマークが問題になったのは、似てるから?問題はそれだけ? 

 そういえば、ゆるキャラについても似てる、パクリだ、という話はありますね。

ネット世界でのパクリは即OUT?

 こう考えてくると、昨年末に急浮上したキュレーションメディアのパクリ問題は考えるまでもなくクロ、といえるのでしょう。

記事数を増やして検索上位に食い込むのが目的。

内容は問わない、他人の記事をコピーしても構わない。

金銭目的、内容の吟味も、引用元へのリスペクトもない。

 

まとめてみると

そもそも人の活動は先達をまねすることから始まる

なので真似すること自体即アウト、ではない

問題になるかどうかは以下のポイントによる

  • 記録、再現が可能か否か
  • 金銭や権利関係が発生するか
  • 相手へのリスペクトがあるか

 

ことしは今まで以上に著作権の管理が厳しくなるようで、場合によってはブログに他のサイト張ることにも制限とか、課金されるとか、何かあるのかも、と思っています。

何はともあれ、引用元や先達へのリスペクトを欠かさず持つようにしましょう。